600万年前のウンコの化石 南西ワシントン ウィルクス地層出土(今回展示品)
本展覧会は、故近藤嘉男氏の功績と意志を受け継ぎ、現代における新しい形の美術教室について試みるものです。 現代美術という一見難解な行為も、生活の中の身近な興味と結びつけることで、親しみやすい遊びの場へと変化させることができるかもしれません。 展覧会では、猿が二足歩行を始めた600万年前の哺乳類の糞石、石器、また日用品を用いた造形など、生活についての造作物を集めてみました。 ゲストアーティストに、ユニークな表現行為を行っている中学生の2人組を迎え、多様な表現空間が生み出されます。 講演会では糞土師の伊沢正名氏をお招きし、排泄という毎日の行為に着目します。 どこかおかしく、真面目で、おもわず笑ってしまうような行為の数々を見ているうちに、日常生活と美術の間にあった垣根が消えていくかもしれません。
企画構成 滝沢達史
広瀬川美術館 生活造形実験室/ラ・ボンヌ
昭和20年(1945年)8月5日、前橋は米軍による激しい空爆を受け、街は焼け野原となりました。終戦を経て戦地から戻った若き芸術家 近藤嘉男はその光景を見て美術館建設を決意します。戦後復興の動乱の中、私費を投じての美術館建設は国内でも類のない試みでした。その3年後に自宅兼アトリエとして広瀬川美術館を開館し、国内の良質な作家の展覧会を開催するとともに、広く市民が芸術に親しむ場として、大人絵画教室「生活造形実験室」と、子供絵画教室「ラ・ボンヌ」を開設します。以後50年、近藤が亡くなるまで3,000名の生徒を輩出し、多くの市民が芸術に親しみました。戦後から今に歴史を残す建物は国登録有形文化財に指定されています。
企画構成 滝沢達史
終了しました
糞土師 伊沢正名とは?
「 伊沢正名 千日行 」
高校の時、人間不信に陥った私は、人間社会を捨て仙人になろうとして退学した。さっそく憧れの山を目指し、北海道へ九州へと貧乏旅行を始めたが、それはむしろ暖かい人情に出会うたびになった。また、当時は高度経済成長時代で、期待して登った山々はいたるところで自然破壊の醜い傷痕を晒していた。僅か2年後、世をすねた少年は、いっぱしの自然保護運動の闘士に変わっていた。自然について勉強するうちに、生き物は動物と植物だけでなく、キノコやカビは「菌類」と呼ばれる第三の生物であることを知った。菌類は枯れ木や落ち葉、さらには動物の死骸から糞に至るまで、ほとんどの有機物のカスを腐らせて土に還す分解者(還元者)である。誕生ー死ー土に還る、という生物の無限の循環こそが自然の基だと学んだ。生命の尊さと同じだけ、死や腐ることも大切だったのだ。自然観のみならず、人生観までひっくり返された思いだった。
さて、生物としての人間が出す最大のカスはウンコである。人のウンコは本来他の動物のご馳走になるし、土に還れば植物の養分に生まれ変わる。しかし私たちの社会では、トイレで水に流し、処理場で膨大な資源とエネルギーを浪費して無に帰そうとする。自然保護運動などと偉そうに言いながら、実は私もそれに加担していたのだ。せめて自分の分だけでも土に還そうと、野グソに励む決意をした。田舎暮らしを幸いに、それ以来せっせと林に通うようになった。早く分解が進みそうな場所で水系を汚さぬように気をつけ、小さな穴を掘り、葉っぱで拭き、持参の水で洗って仕上げる。最後は穴を埋め戻し、再度掘り返さぬよう目印の枯れ枝を刺しておく。こうして毎日30分から1時間をウンコのために費やしているのだが、林内でのゆったりした時間と行為は貴重だ。効率や手軽な快適さを求める反面、過酷な負担を自然に強いている現代社会とは対極に位置するものである。私は悪天候でも苦にならないが、泊りがけで都会に出る時や、旅行中は本当に困る。夜中や早朝に公園や神社の杜などを目指し、茂みの中でこっそり息を殺してするしかない。世人曰く、「神域で野グソとは罰あたりな!」しかし私の行為は、自然や八百万の神々への感謝である。汚らわしいなどとは滅相もない。長年の鍛錬で、私は好きな時いつでも出せるのだが、1日1便のペースはなかなか崩せない。野グソ率100%は至難の業である。2000年5月31日深夜、いきなり襲ってきた下痢に、98年から続いてきた500余の連続記録はあえなく頓挫した。1度は仙人を夢見た我が身。無念の想いで便座に座りつつ、千日行達成を固く誓った。順調に進んでいけた、900日目あたりから次々と危機に見舞われた。谷底転落の恐怖。ホテル中庭での緊急脱糞。パスポートを奪われそうになったり、夜中の公園で怖いオニイサンに捕まりそうになったり。しかし必死の想いでもう苦票に到達した後は、まるで嘘のように楽々と野グソの毎日が現在まで続いている。千日行の御利益か、それとも仙人の域に一歩近づいたのか、、。